この記事では小倉城の見どころを写真付きで紹介します。
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小倉城までのアクセスは小倉駅から徒歩20分ほど
小倉城までの最寄り駅は西小倉駅ですが、小倉近辺に宿泊していたいので、小倉駅方面から攻め上がりました。
小倉駅から小倉城までは徒歩20分ほどです。
小倉城の天守らしきものが見えます。
紫川を渡って小倉城に向かいます。
小倉城の見どころを写真付きでレポ-ト!
城跡っぽい公園に着きました。
石垣や史跡が目に入ります。
ここは勝山公園とのことです。
このまま直進すれば小倉城の天守閣に乗り込めそうです。
味の出た石碑を発見!
石垣も石段も良い感じです。
ただ、こちらから攻め込むと庭園に入ってしまいそうなので、グルっと迂回して攻め込むことにします。
おお!大迫力!
ショッピングモール(たぶん)やタワマン(たぶん)もびっくりの威風です。
小倉城の周辺を確認します。
八坂神社、小倉城庭園などが敷地内にあるようですが、まずは天守閣に攻め入りますか。
アスファルトの公道から、石垣の間を入って行けるのがなんだか新鮮!
これはたぶん大手門だと思う。
大迫力の石垣です。
桝形&坂という鉄壁の防御に身が削られます。
城内の地面はアスファルトになっているので歩きやすいです。
右手に天守閣、左に手にはタワマン(たぶん)です。
先ほどの門はやはり大手門跡だったのですね。
続いて槻門です。
大手門と槻門の位置関係は小倉城公式サイトを見れば一目瞭然です。
天守閣の攻略は後回しにして、槻門から本丸方面に向かいます。
井戸の跡を発見!
小倉城の近くには紫川が流れていますが、水源の確保は必須だったでしょうからね…!
舞姫という桜の紹介がありました。
桜の季節にはまた違った色の小倉城が楽しめそうです。
冬なので桜が咲いていないのは仕方ない。
石垣や城郭をたっぷり堪能することにしましょう。
鉄門跡を発見しました。
名前からして強そうです。
こちらが鉄門跡です。
当時は登り坂の道になっていたものと思われます。
開けた場所に出ました。
おそらく本丸跡だと思われます。
友情の森とのことでした。
史跡を求めて索敵してみます。
ちょっとハイカラな建物を発見!
どう考えても小倉城よりは新しいものに見えますが…。
白州燈台とのことでした。
こちらは白州灯台を模したもので、実際の灯台は別にあるようです。
岩松助左衛門翁をしのぶための史跡だったのですね。
ありがとうございます。
あ、そうか。
小倉城の跡には日本軍の施設が作られたのですね。
第十二師団の司令部があったようです。
砲台が置かれていました。
戊辰戦争後に使われたものだと思われます。
第十二師団司令部の正門だと思われます。
どことなく明治っぽいです。
第十二師団の司令部跡を示す石碑がありました。
時代はさかのぼり、これは武蔵とこじろうの石碑です。
あの有名な巌流島は下関にあるのですね。
碑文です。
こちらが小倉の天守閣です。
中に攻めこむ前に、もう少し周辺を索敵します。
本丸と北の丸の間には大きなお堀がありました。
これは、ちょっとやそっとでは攻めこめませんね…!
お、当時の様子を思わせる石段です。
石段を降りた先が綺麗な桝形になっているのがたまらないです。
小倉城についての説明が掲載されていました。
あれ、こっちが本来の入り口だったのか?
本丸と北の丸をつなぐ門は、多門口門跡とのことです。
大手門は近代的な感じでしたが、こちらは当時の様子が残っていますね。
天守を見上げてパシャリ!
たぶん天守。
めっちゃ立派な門が現れました。
八坂神社への入り口のようです。
神社の敷地にあったやつ。
八坂神社の本殿です。
初詣や縁結びに人気のようですね。
八坂神社の由緒やイベントについて記載されていました。
イベントの日には多くの人が訪れると思われます。
たぶん外に出た。
橋からパシャリ。
歩きながらパシャリ。
グルっと回って、八坂神社の正面入口の方に来ました。
めっちゃ鳥居ありますやん。
小倉城下と中津口門の大石について紹介されていました。
中津口門に使われていた大石が、こちらに置かれているようです。
石碑そのいち
石碑そのに
石碑そのさん
小林徳一郎さんをたたえる石碑が置いてありました。
明治に活躍された事業家とのことです。
こちらが小林徳一郎さんの石碑です。
合掌。
小倉城庭園の紹介が掲載されていました。
石垣や城郭だけでなく、庭園も有名なのですね。
庭園と刻まれた石碑にも風格を感じます。
では、こちら小倉城庭園の入り口です。
周辺をもう少し探索してみます。
花塚の記と記載されていました。
北九州いけばな協会の前身である、北九州華道連盟によって建設されたようです。
花塚と記載されていますね。
花の霊を供養するために作られたようです。
筆塚の記と書かれていました。
使えなくなった筆が供養されたとのことです。
筆塚の文字がハッキリと刻まれていますね。
毎年10月には筆の供養祭がおこなわれるようです。
こちらは茶筌塚(ちゃせんづか)です。
花塚、筆塚、茶筌塚をあわせて三基の塚と呼ばれているようです。
茶筌とは、茶道で使う道具とのこと。
その茶筌を供養するために茶筌塚が作られました。
やたら迫力のある石垣を発見!
こんな石をどうやって持って来たんでしょうね…!